「なぁ、『ぺけ美』って知ってる?」
「聞いたことあるー、何だっけー」
「あれだよあれ、犯罪者をぶっ殺しに来るってやつ」
「あー、あれかー でもそんなんいるのかよ?」
「いるわけねぇじゃん、都市伝説都市伝説」
「信じるか信じないかはあなた次第……」
「うひょー、怖ぇー!」

いかにも頭の悪そうな話題ではしゃぐ三人組を横目に、俺は今日もスクーターを走らせる。
向かう場所は、家から遠く離れた住宅街の通りだ。
現在時刻は夜八時。 街灯が寂しく光を落としながら立っている。
いや、寂しくていいのだ。 そっちの方が俺には都合がいい。
路肩にスクーターを止め、自動販売機でコーラを買う。 なんとなく炭酸が飲みたい気分だ。
プルタブに指をかけた瞬間、俺の目が本日の収入源に止まった。
テレビで注意喚起のCMがいくら流れようとも、自分は大丈夫だろうと思っている馬鹿はいくらでもいる。
まぁ、そんな馬鹿がいるからこそ、俺の収入が増えるわけだが。
ボディバッグに少しプルタブの歪んだコーラを乱暴に投げ入れ、フルフェイスのヘルメットを被る。
スクーターのナンバープレートに灰色のカバーを付けるのを忘れない。
エンジンをかけ、歩く収入源に向かって速度を上げる。
明らかに車の来る気配は無いが、律儀に横断歩道で青信号を待つ収入源。
ここで勝負をかける。 一気に速度を上げ、収入源とすれ違いざまに深緑の袋を掴む。
袋に重みがかかった。 それにも構わず、袋を思い切り引っ張る。
軽さと重さが一瞬のうちに過ぎた。
エンジンをふかし、速度をさらに上げる。 エンジン音に隠れて何かが道路に倒れるような音がしたが、振り返らなかった。
袋を掴んだまま速度を上げて通りを抜ける。 右に曲がり、左に曲がり、また右に曲がった。
遠くでサイレンが聞こえる。 パトカーかと思ったが、救急車のようだ。 どうやら見つかってはいないらしい。
慣れない道を無理に来たため行き止まりだったが、まぁここで止まればいいだろう。 スクーターのエンジンを止める。
呼吸を整え、改めて深緑の袋に目を落とす。 軽いな、今日の収入は幾らばかりだろうか……。
袋を開けた瞬間、体がふと軽くなった。




一瞬の浮遊感に驚く間もなく、尻と背中に衝撃を受けた。 痛い。
まさかもう見つかったのか、いや早すぎる。 こんな所まであんな早く……。
慌てて周りを見渡すと、夜八時の暗い路地よりも妙な明るさで覆われていた。
そして何より、スクーターに座っていたはずの俺が地面に倒れている。 スクーターは消えていた。
スクーターはどこに? と、言うかここはどこだ? 左手に握っているはずの袋もない。
俺が寝そべっているのは明かりが無いのに仄明るい、薄い鉄板の床。 錆に食われて元の色がわからない。
工事現場か? 気づかずに迷い込んだか? 今何時だ?
とっさに左腕の時計を見る。 デジタルの画面に光を灯した。
が、緑に光るはずの盤面がそこに無かった。 ぶつけて壊しちまったのか?
状況を把握しきれずに呆けていると、前触れ無く床下から悲鳴が響いた。

驚き、妙な叫び声を上げつつ跳ね起きる。
何かじっとしては危険な気がした。 根拠は無いが、本能というやつだろう。
錆だらけの床を歩く。 一歩一歩に金属の軋む音がついてくる。
さっきの悲鳴の主には何が起きたのだろうか。 下に降りられる道を探してよろよろと進む。
壁も錆で真っ赤になっている。 どこまで放置されたらここまでボロボロになるのだろうか。
コンクリートと錆に囲まれながら、豆電球の一つもない通路。
なのに足元ははっきりと見える。 どこから照らしているのだろう。
壁の所々に大穴が空き、中の鉄骨が見えている。 解体中なのだろうか。
上階、下階に繋がる階段を見つけた。 とりあえず、下に向かう。
悲鳴の主は無事だろうか。

俺が寝ていた場所の真下に向かうように通路を進む。 たぶん、ここを曲がればいいだろう。
角を曲がった瞬間、どこかに繋がるであろう扉の前に、紺色の棒が転がっているのが見えた。
……何だ、あれは? 長さはだいたい人間の脚ぐらいだろうか。
紺色の棒の近くに、丸い何かが落ちている。 もこもこした茶色い毛で覆われていた。
そばには鉄の板が立ててある。 下半分に赤い塗料が塗られていた。 分厚く、いかにも頑丈そうだ。

何か、動物の鳴く声が聞こえた。
鳥のような、犬のような、子供のような、声が聞こえた。

その声に言い様のないものを感じる。 とっさに身を隠し、声のした先を見る。
重い物が押し付けられる音と、液体の零れる音。
扉が開いた。
大きなものが、扉を体で押しのけ、出てきた。
黄色くて大きな、二本足で歩く何かが、扉をくぐる。
その異様な巨体を見た瞬間、全身の細胞が引き締まる。 これは、危険だ。
黄色い巨体が、足元の紺色の棒を見つけたようだ。 茶色い毛で覆われた丸いものにも視線を向ける。
視線と言っても、そいつは恐らく目にあたるであろう部分を、布で隠していた。
そいつが紺色の棒と丸いものを、右手の三本の指で掴んだ。
丸いものを持ち上げたその時、俺はそれが何であるかを理解した。
断定してもいい、あれは人間の、頭部だ。 そして、あの紺色の棒は、脚だ。
声も出せずにいると、黄色いそいつが扉の中に消えた。 鉄の板も無くなっている。
何故そうしたのか俺でも分からないが、震える脚で扉に向かった。

開けっ放しの扉から恐る恐る中を覗くと、床一面が真っ赤に染まっていた。
黄色いあいつは、どこにもいない。
部屋の真ん中に、人であっただろう塊が無造作に積み上げられている。
吐き気を抑えながら、その山の頂上に一枚の紙が乗せられているのを見つけた。
何か文字が書いてあるが、日本語ではないようだ。
ここで起きた惨状を想像しないうちに、俺は部屋から逃げ出した。

とにかく、ここから出ればなんとかなるだろう。 ふと思ったその時、携帯電話の存在を思い出した。
ほんの十分ほど前なら警察を呼ぶなど考えもしなかったが、今の状況を見ればそんなことなどどうでもよかった。
携帯電話の画面を見ると、出迎えるはずの女優はどこにもいなかった。
時計や天気予報すらも表示されず、ただ赤い画面が広がっていた。
キーを押しても、何の反応もない。 連絡手段は、この時点で完全に絶たれていた。
何だよこれ、いつ壊れたんだよ。 あらゆるキーを試したが、徒労に終わった。
携帯電話をボディバッグにしまおうとした時、入れた覚えのない紙があるのに気づく。
缶コーラの水滴にも濡れない、赤い紙。 携帯電話と入れ替わりに取り出し、書いてある文字を読む。
よれよれの文字で、俺の名前が書いてあった。
その隣に、「窃盗、殺人」。 今度ははっきりした文字。

窃盗と殺人。
確かに窃盗ならしたが、殺人はやってないぞ俺は。 いくら俺でもそこまでは。
ヘルメットを外し、深く息をする。 ここにいたらあの黄色いばけものに出くわすかもしれない。
階下に行けば、出口が見つかるだろう。 今何階にいるのかも分からないが。
赤錆とコンクリートしか目に映るものがない廊下を、あてもなく歩く。
角を曲がるのにも注意しながら、進んでいった。
向こうから、何か歩いてくる。 ばけものよりもずっと小さい、二本足で歩くもの。
そいつが俺を見つけたようだ。 隠れるのが間に合わなかった。
慌ててヘルメットを被る。 無いよりはましだろう。
そいつが俺に向かって何か話しかける。
話しかける?

「お前、生きてるのか」 そいつは震える声を、俺に向かって投げかけた。 人間だ、しかも生きて、歩いている。
「あぁ、そうだ お前誰だ」 俺の声も震えていた。
「K、俺K」 目の前の人物はKと名乗った。 短い髪がきれいにまとめられている。 学生にも見えるが。
「Kか、俺はOだ」
一瞬で終わる自己紹介の後、Kが俺の肩を掴む。
「何だよここどこだよ、あいつ何だよ恐ぇーよ」
「俺に言ったって分かんねぇよ、俺だって何なのかさっぱりなんだよ」
「あいつ俺らを狙ってくるんだよ、もう俺しかいないと思ってたけど、お前いつ来たんだ」
「あいつって黄色いあいつか、狙ってくるってどういう事だよ」
「お前だって悲鳴聞いただろ、一度あいつに見つかったら逃げられないぞ」
そこまで言い終えて、Kが一息つく。
「お前、何したんだ?」
「何したって、何を」
「あれだよ、なんか悪ぃ事したんだろ」 こいつは知っているのか。
「訳分かんねぇよ、したらどうなるんだよ」
「しねぇとこんなとこ来ねぇんだよ」
Kがジーンズのポケットから赤い紙を取り出す。 俺が持っているのと同じ紙。
「読めるか?」 赤い紙には何か文字が書いてあるが、日本語には見えない。
「いや、読めねぇ 何語だそれ」
「やっぱ読めないか、お前も持ってるんだろ、こういうやつ」
言われるがまま、バッグから紙を出す。 Kに渡した。
「他人のは読めねぇのか、まぁ読めても何にもならねぇけど」
一瞬、Kの目から異様な空気を感じた。

「俺もほとんど分かってねぇけど、あいつはこの紙持ってる奴を狙ってるんだよ」
赤い紙を摘んでなびかせるK。
「何だよ、じゃあ紙捨てればいいじゃねぇか」
「そうなるだろ、一度やってみろって」
目が笑わないKを横目にしながら、赤い紙を通路端に投げ捨てた。
「これで狙われないんだろ」
「だといいな、とりあえずあいつに見つかる前に別んとこ行こうぜ」
俺に背を向け、Kが通路を歩く。 俺はKに付いていく。 他に選択肢は無かった。

通路を曲がったKが、間髪入れずに戻ってきた。
「あいついる」
その表情に俺も凍りつく。 あいつか。
「どうする」 自然と小声になる。
「そこの部屋入る」 Kの小さく指さす先に、扉があった。
音を立てないように細心の注意を払いながら、扉を開ける。 開けた先には、階下へと向かう階段が続いていた。
「降りられるぞ」 ここから出られるかもしれない。
「早くしろよ」 Kが焦った声を出す。
扉を閉め、階段に向かう。 足音が聞こえる。 重い足音。
扉から離れながら、二人で小さく震えていた。
「あいつだ」 つい声が零れる。
「静かにしろ」
足音が遠く過ぎ去ったのを確認した後、Kがため息をつく。
「行くか」

錆の階段を降りる。
「さっきあいつに見つかっても、俺は紙持ってないから大丈夫だな」 調子づく俺。
「紙捨てたか? ちゃんと確認しろよ」 手すりをしっかり掴みながらKが言う。
「捨てたよ、だって」 バッグを開き、中を見る。
赤い紙が、そこにあった。
「えっ」
「だろ、それ捨てられないんだよ」 Kは振り向かない。
「捨てられないって、じゃあ」
「そうだよ、ここに来たらあいつに追いかけられっぱなしなんだよ」

階段が尽き、扉が出迎える。
足音が聞こえないのを確認し、俺はゆっくりと扉を開いた。
通路は相変わらずの赤錆塗れ、他の階も同じなのだろうか。
「どっちに行く」
左右を一瞥したKは、何も言わずに右に歩く。
「何でそっちなんだ」
「分かんねぇ」
文句を言おうとも、何も浮かばなかった。
通路を歩く。 天井に大きな穴が開いている箇所が目立った。 その瓦礫があちこちに落ちている。
先を歩くKが、急に立ち止まった。
「何だ、どうしたんだ」
Kの視線の先を見ると、天井の大穴から赤錆によく目立つ、黄色が見えた。
黄色い、あいつが見えた。
あいつが、俺たちの方をまっすぐ捉えている。
そして、一声。
「ぺけっ」

あいつが大穴から飛び降りる。 重量感しか感じられない音に、金属が叩きつけられる音が続いた。
Kは固まったまま動かない。 当の俺も。
あいつは、自身の腰についた赤い紙を見ている。 二枚ある。
一枚は何が書かれているのか分からなかったが、もう一枚のものはすぐに読めた。 あれは、俺が持っている紙と同じだ。
あいつが、三本の指で俺たちを指さす。
「ぺけけっ」
その声を合図にしたように、Kが俺を突き飛ばして走りだす。
揺らめきながら、俺もKを追う。
後ろから、重たい足音が連続する。 追ってきている。
角を曲がり、もう一度曲がると、Kの姿は見えなくなった。
あいつは、俺に狙いをつけたらしい。 壁に金属板をぶつけながら、あいつが俺を追ってくる。
通路の先の床に、穴が開いているのを見つけた。 あいつの図体なら通れなさそうな大きさだ。
一瞬だけ振り返る。 あいつの手がすぐそばを掠めた。
今まで出したことのない速さで、穴に向かって走る。
滑りこむ瞬間、あいつが迫った。
咄嗟に無我夢中で手で跳ね除ける。 何かを掴んだ。 そのまま引き千切る。
体が軽くなるのを感じた瞬間、金属のぶつかる轟音が聞こえた。
穴の向こうに消えるあいつ。 黄色い手が目前に迫り、そして離れていった。
背中に衝撃を感じた。 穴から見えるあいつが、こちらを見返している。
自分の巨体さに嫌気が刺したのか、あいつが去っていく。
呼吸を整えてから、先程あいつから剥ぎとった何かを見る。
赤い紙だった。 あいつの腰についていた。
それに書かれていたのは、俺の記憶によればKの赤い紙と同じものだった。

頭上で轟音が起きた。
慌てて飛び起き、その場を離れる。
もう一度轟音が起きた直後、俺がいた場所に金属板が突き立てられていた。 あいつのものだ。
行き先も決めずに走りだす。 重い物が落ちた音がした。
一番近くにあった扉を開く。 他のものよりずっと大きい扉だ。
中に踏み入った瞬間、足元の暗さに驚く。 赤錆の通路が完全に寸断されていた。
寸断された底が見えない。 向こう側には、扉が見える。 あそこまで行ければ。
足音が聞こえ出した時、扉のずっと下に足場があるのを見つけた。 飛び降りれば届くだろうか。
考えていてもあいつに追いつかれる。 俺は覚悟を決めた。
勢いをつけ、飛び移る。 思ったより余裕を持って足場に乗る事が出来た。
足場は薄い金属で出来ている。 錆に食われて今にも折れそうだ。
足場に据え付けられた手すりを使えば、扉のある通路に登れるだろう。 俺は手すりを掴む。
視線を感じて、今までいた場所を見上げる。
あいつが俺を見下ろしていた。

扉いっぱいに体を押し込めながら、あいつが入ってきた。
あいつは、何も言わずに俺を見ている。
俺が立っていた場所にあいつが立っている。 狭そうだ。
しばらく睨み合った後、無造作にあいつが飛び降りてきた。
咄嗟に、手すりに足をかける。 赤錆の足場に衝撃と轟音が走った。
あいつが、俺に手を伸ばす。 数歩近づけば届く距離だ。
一瞬、あいつが俺から視線を外し、自身の足元を見た。
もう一度俺を見ようとあいつが頭を上げる前に、あいつそのものが落ちる。 足場が耐えられなかったのだ。
折れた足場に掴まり、這い上がろうとするあいつ。 俺のすぐそばで、足場のボルトが壁から外れようとしていた。
俺が扉のある通路に腕をかけた瞬間、ボルトが壁から離れていく。
「ぺけっ」
場違いなほど可愛らしい鳴き声を上げながら、あいつが底の見えない暗闇に落ちていった。

通路に這い上がり、下に限りなく広がる暗闇を見下ろす。
あいつの姿すら、声も何も返ってこなかった。
これであいつに追われる事もないだろう。 疲れが抜けるのを待って、扉を開ける。
その先に広がっていたのは、見慣れた廊下だった。
まぁ、あいつさえいなければ平和なものだ。 今までよりゆっくりと進んでいく。
角を曲がり、また曲がり、扉を開いた。
Kは今どこにいるのだろうか。 まだあいつに怯えて震えているだろうか。
他人の心配をする余裕まで出てきた俺は、通路をどんどん進んでいった。

いつも通りに見つけた扉を開く。
いつも通りの通路を、とりあえずは右に歩く。
ふと、目の前に赤錆以外の色が広がる。
黄色い壁が、俺の前に立ち塞がっていた。
その壁が、俺にこう言った。
「ぺけっ」
あいつが、そこにいた。

何でだ、何でお前がいるんだ。
思考を巡らせる前に、あいつの三本の指が視界を覆った。
ヘルメットのバイザー越しに、あいつの手のひらが見える。
赤錆と変わらない色をした、血に塗れた手が。
一瞬、首に衝撃を受け、体がぐんと軽くなる。
足元に何かが落ちる音が数回立て続けに起きた。
「ぺけっ」
それが聞こえた後、俺は