尋常でない事が起きたらしく、動揺が波のように広がっていた。
今度は兵士だけでなく、女官や侍従までもが走り回っている。
碧竜のいる部屋の前廊下でも人の流れが激しく、行く人行く人が口々に何かを言い合っている。
寝間着のままの老人が一人、兵に半ば引きずられるように小走りで通り過ぎた。
その後を二人、重そうな箱を持った壮年男性が慌ててついてくる。
幾重にも重なる、足音と声。
碧竜を見張る兵が、また別の数人の兵と何かを話している。
その数人が窓越しに碧竜を睨むと、足早に去っていった。
「なにがおきたのだ」
状況を掴むため、碧竜が見張りに話しかける。
「帝が……」 見張りの一人が言いかけた瞬間、もう片方がそれを制止する。
「いいから、お前はそこで静かにしていろ」 制止した兵が、碧竜に釘を刺す。
「なにがおきたのだ」 窓枠に手をかけ、もう一度催促した。
「黙っていろ、まだ詳しくは分かっておらん」 口調を荒げる。
渋々、部屋に引っ込む碧竜。 外は、まだ騒がしい。

騒がしさに紛れて、捕らえた、と声が響いた。
それを聞きつけ、声の方向へ駆けていく人間たち。
侍従が一人、人間の波に逆らって碧竜のいる部屋へやってきた。
見張りと短い会話をしているのが、微かに聞こえる。
それが終わらぬ内に、見張りの一人が部屋の戸を開けた。
「来い」
一言だけ放つと、碧竜の腕を掴んで引っ張っていく。 特に抵抗もしないで、淡々と引っ張られていく碧竜。
「お前に、見て貰いたい者がおる」
「そうか」
多くの人間の視線を感じながら、引っ張られ続ける碧竜。
末に、中庭に面した廊下に着いた。
大勢の人間で埋め尽くされており、各々が小声で何かを囁き合っている。
廊下からは中庭に出られるように階段が据えられており、その階段の前に松明が何本か立っている。
「あれだ、あの者を存じぬか」
見張りが、中庭で松明に照らされて座る一人の人間を指した。
黒い服を纏った男が、縄で手足を何重にも巻かれ、それを取り囲む兵に槍を向けられている。
その男から極微かに発せられている、黒の気配。
あれが、先程から帝宮を彷徨いていた気配の正体だろう。 先刻、碧竜を睨んだ右肩の橙色の瞳は消えていた。

大人しく座って俯いている、土気色の生気のない顔をした男。
碧竜はその顔に見覚えは、なかった。
「あのおとこは、しらん」
その声が聞こえたのか、男が碧竜を素早く見据えた。
「お前!」
掠れきってよく聞き取れない声質で、男が叫んだ。
「お前! 邪魔しやがって! 俺の! 俺の邪魔を!」 碧竜に向けて、何度も叫ぶ。
黙れ、と男を取り囲む兵の一人が、叫ぶ男の顔を槍で打ち叩いた。
一瞬だけ静まったが、再び叫びだす男。
「邪魔しやがって! 邪魔しやがった! でも今度は邪魔しやがらなかった!」
喉を潰そうが、叫ぶのを止めなさそうな男。
兵達も困惑しているのか、ただ取り囲んでいるだけになっていた。

「捕らえたか」
廊下の奥から一際目立つ赤い衣裳の高官が、廊下を埋める兵を分け入りつつ歩いてくる。
「然り、丞相」
付き添いの兵が、その高官を丞相と呼んだ。
丞相が中庭に下り、男の前に立つ。
「名は何だ」 男に向けて、丞相が問う。
男は、にやついただけで何も言わない。
「誰に雇われた」
男は答えない。
丞相はしばらく男と対峙していたが、埒が明かないと思ったのかその場を離れた。
「瘋癲か、奴は」 溜息混じりの丞相。 付き添いの兵と小さく話し始めた。
人で埋まる廊下の彼方から、ばたばたと足音を立てながらまた一人の高官がやってきた。
「捕らえたのか、真か、どいつじゃ、どいつがやったのじゃ」 小走りで矢継ぎ早に喋る高官。
兵が教えるより早く、高官が男に掴み掛かった。
「下郎が! 何故あの様な事を!」 衣裳が崩れるのも構わずに、男を激しく揺さぶる。
男はそれでも、にやついたまま黙っている。
「誰の指図じゃ! 答えろ!」
それを聞いた男が、ゆっくりと口を開いた。
高官も揺さぶるのを止め、男の次の言を待っている。
にやついた顔を更に歪ませて、男が高官に言い放つ。
「お前だよ」